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 6    第5話 お味噌汁
 
 
 7月も終わりに近付いたその日、青森は曇り空だった。夕暮れ時ともなると、半袖で東京からやってきた彼には肌寒いくらいだ。3か月前とは少し装いの変わった商店街を歩きながら、彼はその時に再会した少女のことを思い浮かべていた。
 『会いたかった〜!』
 覚えているのは彼女のそんな感激の声と表情、そして彼女に抱きしめられた時の温もりだった。そこには彼女の6年分の気持ちがこめられていたに違いない。彼は飛びついてきた彼女をとっさに受け止めてあげられなかった。
 (本当に長い間、待たせちゃったんだな・・・)
 彼女が感じた6年は、彼が思う6年よりもずっと長いのだろう。その差を埋めることができれば、きっと彼女をしっかり受け止められる・・・彼はそんなふうに考えていた。
 (とにかく、ちゃんと話さないと)
 彼女が暮らす酒屋までは、もう少しだった。
 
 「あっ、いらっしゃいませ・・・」
 「まいど、今日は嬢さんが店番か?」
 「はい・・・えっと、何か出しましょうか?」
 店を訪れた常連の客に、妙子はそわそわと応対する。いつもならこの時間は彼女の母親が店を預かり、彼女は夕飯の支度をしているはずだが、今日は逆だ。それはもちろん遠い東京から来てくれる少年を真っ先に出迎えるためであった。
 (そろそろ着くころなんだけどなぁ・・・)
 客が帰ると妙子は時計に目をやった。母屋からはおいしそうな匂いが漂ってきている。
 (もう、早く来ないと、私のお味噌汁が食べられないんだからね!)
 そんな焦りと待ち遠しさに負けて、通りを見に店先へ飛び出そうとした時だった。
 「こんばんは・・・」
 「あっ・・・」
 ちょうど、彼女の目の前に少年が現れる。
 「妙子・・・。ごめん、待っててくれた?」
 「う、ううん・・・店番してたから・・・。あの、おかえりなさい・・・」
 3か月前のことを思い出すと恥ずかしくなってしまうが、妙子は直哉が来たらまずそう言おうと決めていた。
 「ただいま・・・」
 直哉は遠慮気味に返事するのだった。
 
 「はい、お兄ちゃんの分!」
 「あ、ありがとう・・・」
 食卓についた直哉の前に、大盛りの炊き込みごはんが差し出される。
 「おい純、さすがに多すぎじゃないのか・・・」
 「お母さんが、久しぶりだからこれくらいは食べてもらわないとって!」
 あきれる妙子の父だったが、弟の純はむしろうらやましそうだ。そんなやりとりから、直哉はこの家族のことをだんだんと思い出すのだった。
 「そうそう、なんたって大事なお客さんだからねぇ・・・」
 そこへ、母親ができたてのおかずを持ってやってくる。
 「これでよしと・・・。さあ、後はお味噌汁だけだね!待っててよ直哉君、妙子が今作ってるところだからさ・・・」
 「そっか、お姉ちゃんはお兄ちゃんのために練習してたんだ!」
 「練習?」
 直哉には純の言葉の意味がわからなかった。
 「うん、直哉君においしいのが出せるようにってね、毎日作ってたんだよ。まあ今日の本番はどうなるか、楽しみだねぇ・・・」
 「そうですか・・・毎日・・・」
 (待っててくれただけじゃないんだ・・・)
 直哉はすぐにでも立ち上がって台所に行こうかと思ったが、少し迷ってやめることにした。今行ったところで、彼女にかける言葉をみつけられそうになかったからだ。
 (まずは、何も言わずに味わってあげなくちゃ・・・)
 彼女が作るそのままの一杯を、彼はのどに通そうと決めたのだった。
 
 (うーん、これでいいかな・・・)
 静まり返った台所で、妙子は味噌汁の味見を繰り返していた。緊張しているせいか舌が鈍り、なかなか完成の踏ん切りがつかない。
 (いいよね・・・いつも通りに作ったんだし・・・)
 もう一度鍋の中をのぞき込む。味噌や豆腐をはじめ、材料はいつも使っているものばかりだ。後は自分の腕と気持ちを信じるしかなかった。
 (大丈夫・・・。それに今日は、こんなことで心配してられないんだから・・・)
 彼女はそう思い、5人分の茶碗に味噌汁を注いでいった。
 
 「いやぁほんとに久しぶりだねぇ、こうしてみんなで食べるのは・・・」
 全員が夕飯の前にそろうと、妙子の母は感慨深げにそうもらした。直哉と妙子も思わず目を合わせて、同じ気持ちなのを確かめた。
 「じゃあ、いただこうか!まずは直哉君に、妙子のお味噌汁を味見してもらってだね・・・」
 「は、はい・・・」
 「いよいよかぁ〜、がんばってねお兄ちゃん!」
 「ちょっと・・・お母さん、そんなにせかすことないでしょ?純も変なこと言わなくていいの!」
 直哉が困っていると思った妙子は慌てて止めようとする。
 「いや、もらうよ。妙子・・・」
 「えっ・・・。そ、そう?じゃあ・・・」
 「うん。いただきます・・・」
 はっきりと妙子に言って、直哉は目の前で湯気を立てている味噌汁を口へと運んだ。
 「あちち・・・」
 何度も息を吹きかけながら、すすっていく。
 「ど、どう?」
 「うん・・・おいしい・・・」
 彼は自分が感じたままにそう言った。どんなふうにおいしいとは説明できないけれども、おいしいのは確かだと思いながら。
 「本当?よかった・・・」
 それを聞いた妙子は純粋に、心の底からうれしくなるのだった。
 「まったくお熱いねぇ・・・。まあ2人の続きは後でゆっくりしてもらうとして、母さんも食べてみようかね・・・」
 妙子の母はそう言いながら、味噌汁に口をつける。
 「あれ妙子、今日はちょっと濃くしたのかい?」
 「えっ?そんなことないけど・・・」
 「うーん・・・そういやいつもより濃いめな気もするなぁ・・・」
 父親も少し渋い顔をするのを見て、妙子は自分でもう一度味を確かめてみる。
 「ほ、ほんとだ・・・。おかしいなぁ・・・」
 首をかしげる妙子と彼女が作った味噌汁を、直哉は何も言わずに見つめていた。
 
 
 にぎやかな安達家もすっかり静かになったその夜。直哉は2階の自分の部屋に明かりをつけた。
 (なつかしいな・・・)
 6年前まで彼の家族が借りていたこの部屋は、他に借りる人もいないままだ。布団が一枚敷かれている以外は、彼が妙子への置手紙を残して出ていった日と同じ風情だった。
 (ちょうどこの季節だったんだ・・・)
 直哉は十分に言葉も交わせないまま彼女と別れてしまった夏を思い起こした。
 「ねえ・・・いる?」
 「えっ?」
 突然彼女の声が聞こえて、彼ははっと我に返る。
 「あっ、開けるよ・・・」
 答える前にドアを引くと、そこにはパジャマ姿の妙子が恥ずかしそうな面持ちで立っていた。
 「ちょっと、話したくて・・・」
 「うん、僕も・・・。入ってよ、今この部屋は変わってないなって思ってたところなんだ・・・」
 「そう・・・。うふふ、直哉を待ってたみたいでしょ?」
 「ほんとだね・・・」
 2人は窓際の壁にもたれて座った。
 「・・・妙子も、待っててくれた?」
 「う、うん・・・。もう、そんなこと直接きかないでよ・・・」
 胸の鼓動をおさえきれず、妙子は声を大きくする。
 「ごめん・・・。でも、毎日お味噌汁を作る練習、しててくれたって・・・」
 「そ、それは・・・」
 「僕はそのお礼が言いたかったんだ。妙子のお味噌汁は、本当においしいと思ったよ・・・」
 「直哉・・・」
 妙子は返す言葉を探すが、気持ちが先に出てしまってうまくいかない。
 「でも・・・お味噌汁がいつもより濃いか薄いかは、わからないから・・・」
 「えっ・・・」
 「・・・もし一緒に過ごせてたら、ちゃんとわかったのかなって思ったんだ・・・」
 そうつぶやいて、直哉はうつむく。
 「そ、そんなの気にしないで・・・。もしなんて・・・言ってほしくない・・・」
 「妙子・・・」
 彼女の声は静かに震えていた。
 「・・・お礼したいのは、私の方なの・・・。直哉が帰って来てくれたことも、お味噌汁を味見してくれたことも・・・」
 「うん・・・」
 「だから気にしないで・・・。離れ離れになったことは、いい思い出にしておきたいの・・・」
 「・・・そっか・・・」
 切実な気持ちにおされて、直哉はやっと前向きになる。
 「わかった・・・。でも待っててくれたお返しは、何かさせてほしいんだ。たとえば明日、2人で出かけるとか・・・」
 「直哉・・・。も〜う、そういうことはもっとはっきり言ってよ・・・」
 「ご、ごめん・・・」
 妙子は目をうるませながら、またあきれてしまうのだった。
 「・・・それで僕から話しちゃったけど、妙子の話は何だったの?」
 「あっ、忘れてた・・・。ひとつだけ、ききたいことがあったの・・・」
 「な、なに?」
 再び声を低くする彼女に、直哉も緊張してしまう。
 「やっぱり思い出話になっちゃうけど・・・。さ、最後の日のことは覚えてるでしょ?あなたが引っ越した日・・・」
 「もちろん・・・。妙子、見送りに来てくれたよね・・・」
 「う、うん・・・。そのとき私が叫んだこと・・・聞こえてた?」
 勇気を出して、妙子はそうたずねた。
 「ごめん、多分電車の音でわからなかったんだ・・・。なんて言ってたの?」
 「え、えっと・・・。その、最後まで変な意地張っててごめんって・・・」
 「そっか・・・」
 「うん・・・。そ、それだけ確かめたかったの・・・。思い出にするって言ったばかりなのに、掘り返しちゃってごめんね?」
 彼女はごまかしながら、とりあえずその話を終わらせたのだった。
 
 
 次の日、いまひとつの空模様とは逆に2人の気分は晴れていた。出かけるといってもほとんど近所での買い物に終わってしまったが、再会した2人にとっては素直な笑顔で過ごすことができる、特別な時間だった。
 (一緒に、いられるんだなぁ・・・)
 駅前を直哉と歩きながら、妙子はしみじみとそう思うのだった。
 「ねえ、次はいつ来てくれるの?」
 「実は・・・10月ぐらいまでは、会えないと思うんだ・・・」
 「そ、そう・・・。やっぱり、今までに引っ越した所に行ったりしてるの?」
 「うん・・・。会いたい人が、たくさんいるから・・・」
 「そっか・・・。ほんとにおひとよしだもんね、直哉って・・・」
 再会してからの3か月で、彼女はそんなことも想像していた。直哉には直哉の事情があって、それで会うのが遅れるのは仕方のないことだと。
 (あれっ・・・私・・・)
 だが妙子は突然、寂しい気持ちがあふれてくるのを感じていた。理由も分からず戸惑う彼女を狙うように、冷たい雨粒さえ降ってくる。
 「雨だね、走ろうか!」
 「う、うん・・・」
 彼女は胸をおさえて直哉を追いかけた。
 
 「ほんとに寒くない?妙子・・・」
 「へ、平気・・・。あっ、もう電車が来ちゃうよ・・・」
 「う、うん・・・。じゃあ行くよ、いろいろ付き合ってくれてありがとう・・・。それと話を聞いてくれて・・・」
 直哉はときおり暗い表情を見せる妙子が心配だったが、彼女にせかされてやむなくそう言うのだった。
 「うん、私こそありがとう・・・。えっと・・・私・・・」
 「妙子・・・。妙子がそんな顔してたら乗れないよ、電車に・・・」
 うまく話せない彼女を見ていられず、直哉は近くのベンチまで彼女の手を引いていった。
 「一本ぐらい、遅れてもいいから・・・」
 「ご、ごめんなさい・・・。私、なんだかおかしいみたいなの・・・」
 「もっと話したいことがあったら、気にしないで言ってほしいんだ・・・」
 「でも・・・わからなくて・・・」
 昨日の夜とは違う涙が、彼女の目に浮かぶ。
 「・・・もう少し、妙子だけの時間がいる?」
 再会が彼女にとってあまりに急な出来事だったことに、直哉はようやく気付いていた。
 「そうみたい・・・。ごめんね、本当に・・・」
 「いいんだ・・・。それからもう一度会おうよ、なんとか9月には行けるようにするから・・・」
 「で、でも・・・」
 「妙子が、心配なんだ・・・」
 彼は強くそう言った。
 「直哉・・・」
 人通りの少なくなった青森駅には、ぽつぽつという雨音が残されていた。
 
( 終わり )
 
 
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 書くべきことが多いので、一部次回にまわすことにしましたが・・・それでも長いですね。直哉が妙子の家族と十分知り合っているのでやりやすいのですが、妙子自身が意外と書きづらい気もしました。
 ところで今後、新たな家族が登場するかもしれません・・・。



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