庭園に面した長い廊下を、僕はぎしぎしと音をたてながら歩いていた。ほとんどしのび足になってしまっているのは、ときどきせみが鳴く以外、辺りがまったく静かだということもあったけれど、何より僕がひどく緊張しているからだった。ゆっくりと進み、一番奥のふすまの前で立ち止まる。さすがに何も言わずに入るわけにはいかない。「失礼します」でいいだろうか。いや、その前にノックぐらいするべきだ。でもふすまにノックというのはおかしい気がする・・・。
「誰かおるのか?」
「あっ、はい!し、白石です!」
悩んでいるうちにいきなり部屋の中から声をかけられ、あやうく飛び上がりそうになる。僕はそれをおさえながら、なんとか返事した。
「うむ、気にせずに入りなさい」
「はい、失礼します・・・」
結局そう言って、ふすまを慎重に押し開ける。部屋に入るとそこには、鋭い目つきをした老人がどっしりと腰を据えていた・・・。
池のそばにある東屋で、私はひとり立ち上がっては腰を下ろし、また立ち上がっては腰を下ろしと、幾度も繰り返していました。直哉さんは大丈夫でしょうか、お爺様は酷いことをおっしゃっていないでしょうか、ただそればかりが気掛りでした。お爺様の部屋のそばまで行ってみようとも思いますが、盗み聞きをするなどあまりに失礼千万なことです。そんな不届きなことを考えてしまうほど、私は動揺しているのでした。
三か月前、せっかく直哉さんが会いに来て下さったのですが、お爺様がいらして、きちんとお話もできないままお別れしてしまいました。その後お爺様には誤解のないようにご説明をしたのですが、結局今回、この様なことになってしまったのです・・・。本当に直哉さんには申し訳のないことをしてばかりで、私はいたたまれない気持ちでした。
「何をしておる、座りなさい」
「はい・・・」
言われるままに、畳の上に正座する。僕は自然と身構えていた。あまりいい話でないことは見当がついていたからだ。
「わざわざすまぬな。おぬしのことは若菜から聞いた。それで、話したいことが二つほどあるのじゃ」
「はぁ・・・」
「まず、先日は悪いことをした。それを謝っておこう」
「は、はぁ・・・いえ・・・」
予想していたのとまったく逆の言葉に、思わず拍子抜けしてしまう。
「若菜は、特に付き合っているような男もいないと言っておったのでな・・・わしはてっきり、おぬしを怪しい奴だと思ってしまったのじゃ」
「はぁ・・・。えっと・・・」
なんだか違う方向に話が進んでいるような気がする。僕はとにかく、言うべきことを言うことにした。
「あの、僕こそ勝手に入ってすみませんでした・・・」
「うむ、それが分かればよいのじゃ。今度からは気をつけい」
ようやく思っていた通りの内容に近づき、僕は変に安心した。あとは別の問題だ。
「はい、それと・・・若菜さんとは、付き合っている・・・いや、お付き合いしているわけではないのですが・・・」
「そうか・・・いや、おぬしのことを大切な人と言いおったのでな。違う意味じゃったか・・・」
「そうなんですか・・・若菜さんが・・・」
僕は若菜の顔を思い浮かべた。やっぱり若菜には、ちゃんと謝ろう。それから・・・。
「うむ。じゃがそうなると、もう一つの話がしやすくなるわい。実は、おぬしに頼み事をしたい」
「はぁ、頼み事・・・ですか?」
まだ話が終わっていないのを思い出して顔を上げると、若菜のおじいさんはうなずいて続けた。怖そうに見えるけれど、実際はそんな人でもないのかもしれない。
「若菜に今、見合いの話が出ておるのじゃ。と言ってももう半年以上前からになるがな・・・」
「見合いというのは・・・お見合いのことですか?」
少し困った口調のおじいさんにたずねる。
「そうじゃ。若菜に考えておくようにとは何遍も言っておるのじゃが、未だに決め兼ねておるのじゃ・・・。そこで頼みたい、おぬしからも若菜に言ってやってくれんか?身内事ですまぬが・・・」
「お見合いのことを考えるように、若菜さんに・・・お話ししたらいいんですか?」
「うむ。受けるのなら受ける、断るのなら断るでいいのじゃ。いつまでも待たせておくのが、先方に一番失礼なことなのじゃ・・・。確かにあいつもまだ十五じゃから、悩むのも分かるが・・・」
腕を組み、おじいさんはうなだれる。そう言うおじいさんも、若菜のためを思って悩んでいるのだろう。
「わかりました!僕からお話ししてみます」
いつの間にか、僕の緊張はほぐれてしまっていた。
「若菜!おまたせ・・・」
「直哉さん!あの、大丈夫でしたか?」
廊下を走って来た直哉さんに、私も急いで駆け寄ります。
「うん、この前のことで怒られると思ってたんだけど・・・逆におじいさんから謝られちゃったよ」
「そうですか・・・よかった・・・」
私は心の底から胸を撫で下ろしました。
「でも、まさか若菜より先におじいさんと話をするなんてね・・・」
そう言って直哉さんは苦笑します。
「ごめんなさい・・・私がお爺様に、もっとしっかりお話ししていればよかったのですが・・・」
「いや、若菜のせいじゃないよ。そうじゃなくて、先に若菜と話したかったなって言いたかったんだ・・・」
「直哉さん・・・。私も、早くお話ししたかったです・・・直哉さんと・・・」
やっと、本当に直哉さんと再会できた気がして、私の胸は熱くなるのでした。
「うん。それじゃあ・・・とにかく座ろうか。ここで話してるのもなんだし・・・若菜の部屋はだめかな?」
「わ、私の部屋ですか?だめではありませんけど・・・」
もちろん、自分の部屋に男性の方を招いたことはありません。でも他に落ち着けるような場所もなく・・・私は恥ずかしいと思いながらも、直哉さんを招くことにしました。
「どうぞ、入って下さい・・・」
「ありがとう、お邪魔します・・・。広い部屋だね・・・」
直哉さんが部屋を見渡している間に、私はお茶を入れていました。
「ねぇ、これ・・・もしかしてあの時のオルゴール?」
「えっ?あっ、はい・・・少し前に、蔵から出して来たんです・・・」
本棚に飾っておいたそのオルゴールは、直哉さんとの思い出の品でした。本当はきれいに汚れを落としてから、直哉さんにお見せしようと思っていたのですが・・・。
「そう・・・。懐かしいね、確か小学5年だったから、もう4年以上前か・・・」
「ええ・・・」
私は座るのも忘れ、改めて当時を思い起こしました。
「うん、こんな曲だった・・・」
オルゴールを開き、直哉さんは静かにその音色に耳を傾けるのでした。あの時と変わりのない、優しく穏やかな表情で。
「・・・長いよね、4年は・・・」
「えっ?」
曲が終わってから、直哉さんがぽつりとそう言いました。
「このオルゴールも、ずいぶんほこりをかぶちゃったし・・・。それに、前はもっと大きかった気がするよ・・・」
「直哉さん・・・」
私はその表情に、悲しい色が混ざっていることに気が付いていました。
「本当は、この間言わないといけなかったんだけど・・・。4年も待たせてごめん、若菜・・・」
「そ、そんな・・・!わ、私は直哉さんが好きで、お待ちしてたんです!あっ・・・」
「若菜・・・」
ただ直哉さんに謝ってもらいたくなくて、私はそんなことをもらしてしまいます。
「あ、あの・・・とにかく、直哉さんのことを大切にお思いしています・・・。それは、辛くなる時もありましたけど、直哉さんを悪く思ったことなど、一度たりともありません・・・。だから、そんなことを言わないで下さい・・・その方が私、辛いです・・・」
頭で考えるよりも早く、そんな自分の気持ちが言葉になっていました。
「そっか・・・。じゃあ・・・ありがとう、若菜。待っててくれて・・・」
「はい・・・またお会いできて、本当に幸せです・・・」
澄んだ笑顔になった直哉さんにつられて、私は素直にそう伝えることができました。
「うん、よかった・・・。それと若菜、僕も若菜のこと、大事に思ってるから・・・」
「直哉さん・・・。はい・・・」
私は頬が真っ赤になるのが、自分でも分かりました。
「僕から言いたかったのは、それだけなんだ。あっ、そろそろ座ろうか・・・そのために来たんだよね」
「そ、そうでした・・・すみません、お茶だけ出したままで・・・」
やはり直哉さんの前では、平心でいられない私でした。
「・・・それだけのはずだったんだけど、実は今日になってもうひとつ話すことができたんだ」
夏でも熱いお茶を少しすすってから、僕はそう切り出した。
「もうひとつですか?」
「うん。お見合いのこと・・・。おじいさんから聞いたよ・・・」
「お、お爺様がそんなことを・・・。そうですか・・・」
「若菜はいやなの?お見合いするのが・・・」
うつむく若菜に、まっすぐ尋ねてみる。僕はなんとか若菜の背中を押してあげたかった。大事に思ってる、そう言ったんだから・・・。
「それが・・・私、まだ将来のことまで気が回らなくて・・・。どう考えたらいいのかさえ、分からないんです・・・」
「そっか・・・。そうだよね・・・おじいさんも、悩むのもわかるって言ってたよ」
「えっ?お爺様が?」
若菜はすごく驚いたみたいだった。
「うん。でも、はっきりせずに相手を待たせておくのも失礼だって・・・。おじいさんも困ってるんじゃないかな・・・」
「そうですか・・・。やはり、私がしっかりしないと・・・」
「うん・・・若菜にしか決められないことだからね・・・。そう思ってちゃんと向き合ってみたら、何か答えが出るんじゃないかな。・・・ごめん、こんな言い方しかできなくて・・・」
「いいえ・・・直哉さんの言う通りです。ありがとう・・・。いけないですね、私、直哉さんにまで心配をおかけして・・・」
そう言って明るい顔になった若菜に、僕も安心した。
「いいんだ。でも、若菜にだってやりたいことがあるよね・・・。そうだ、確かこの前若菜、弓矢を持ってなかった?あれは若菜の趣味なの?」
「はい、趣味というよりお稽古なんですが、気持ちを落ち着けるために、毎日弓を引いているんです・・・。あっ、いつもそればかりではないんですよ?休日には外に出たり、少し自分のしたいこともしています・・・」
『今日も、こうして直哉さんとお会いしています・・・』
私は余りに恥ずかしくて、そう付け加えることはできませんでした。
「そっか、気を抜けるときもあるんだね。よかった・・・」
「はい・・・」
けれども私はもう、お見合いをお断りすることを決めていました。そして今までそのことを考えられなかった理由も、分かった気がしたのでした。
「あ、あの・・・直哉さんは、休日にはどんなことをなさっているんですか?」
それこそお見合いのような質問でしたが、私は今の直哉さんのことを知りたいと感じていました。
「・・・僕、いろいろな所に行ってるんだ。ごめん、それも言わないとだめだったね・・・」
「えっ?まだ、転校を繰り返されているんですか?」
急に直哉さんの顔に陰りが見えて、私は動揺を覚えます。
「違うんだ・・・若菜みたいに、久しぶりに会えた人が他にもいるから・・・」
「あっ、そうですよね・・・。京都以外にも、滞在されていたんですから・・・」
「うん・・・。だから、なかなか会えないと思うけど・・・」
直哉さんは申し訳なさそうに言葉を探します。私はそっと、それを遮りました。
「直哉さん・・・あの、私は大丈夫ですから・・・。お気になさらず、他の方にお会いしてあげて下さい・・・」
「若菜・・・」
少しだけ心が苦しくもなりましたが、これ以上直哉さんに心配してもらってはいけません。そうなれば直哉さんばかりでなく、他の方にもご迷惑をおかけしてしまうのですから・・・。
「ごめん・・・。でも、若菜にもまた会いたいから・・・」
「はい・・・。私はゆっくり、お待ちしてます・・・」
私は明るい気持ちで、そう言うことができました。
「うん、ありがとう・・・。あっ、まだまだ時間あるのに、こんな話してちゃいけないよね・・・。そうだ、休日だから外に出ようか?」
「は、はい!」
蝉の声に負けないくらいに、私は大きく返事しました。
( 完 )
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一人称で敬語というのはおかしい気がしましたが、そうでもないですね。やっぱり若菜には敬語が似合います。『いつもそればかりではないんすよ?』なんて打ち間違えたら大変ですね。
お爺様はわりと優しめな方向でいこうかなと。再登場は・・・多分あります。
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