「それじゃあ・・・3日も休みますけどお願いします・・・」
「ああ、気にしなくていいからね!」
「はい、じゃあお疲れ様でした・・・」
いつもより真剣に頭を下げて、明日香は閉店時間を過ぎたレストランを出る。この日、彼女は初めて店長にバイトを休みたいと申し出たのだった。今日は木曜日、もらったのは週末の3日だ。
(よし・・・これで明日、下見に行けば大丈夫・・・)
そんなことを考えながら信号を待つ。いつもの明日香ならケータイでもいじりながら待つところだが、今日バッグから取り出したのは携帯でなく、財布だった。
(大丈夫だよね・・・)
財布には全部で3枚の映画のチケットがはさまれていた。そのうち2枚は新しいが、もう1枚はかなり古びている。明日香はこのチケットを3年ほど前から大事に持ち続けてはいるものの、最近まではあまり見ないようにしていた。そのチケットを目にするだけで、ある少年とのつらい思い出がよみがえり、どうしようもなく悲しい気持ちになってしまうからだ。
だが3か月前にその少年と再会してからは、明日香はその思い出と向き合えるようになっていた。少年と再会したことで、3年という時間の壁の向こう側にあった思い出に、手が届くようになったのだ。
(もう、思い出すのは最後にするんだから・・・よ〜し、元気だそう!)
明日香は財布をしまうと、ちょうど青になった信号に向かってかけ出すのだった。
『あなたが転校する前に、どうしても思い出が作りたいの・・・』
それが、直哉が思い出せる明日香の最後の言葉だった。彼はそう言われて明日香からチケットを受け取ったのだ。
(結局、作れなかったんだな・・・)
彼は少し字がかすれたそのチケットから、電車の外へと目を移した。彼が4月に明日香と再会したときと、ほとんど変わらない都会の風景が流れていく。
(いや、今からでも作れる・・・作らなきゃ。新しいチケットを買えるようになったんだから)
彼はそう思い直した。電車は横浜に近づき、徐々に速度を落とし始めていた。
(ちょっと早すぎたかな?)
みなとみらい線の終点、元町・中華街駅。改札口へ続くエスカレーターを上りながら、直哉は時計を気にしていた。明日香との約束の時間は10時だが、今はまだ9時過ぎだ。仕方なく待つしかないと覚悟して、ゆっくりコンコースを歩いていく。
だが改札の前まで来たところで、直哉は少し目を疑った。
(あれ?明日香?)
駅の出口の近くにたたずんでいたのは、間違いなく明日香だった。それも彼女に似合わず、うつむいてちょっと暗い表情をしている。直哉はそれを見て急いで切符を通し、彼女にかけ寄った。
「明日香!」
「あっ、直哉・・・。えっと、おはよう!久しぶり・・・」
突然声をかけられて明日香は驚いたが、すぐに笑顔を見せる。
「おはよう・・・それよりごめん、待ち合わせって9時だった?」
「えっ?10時じゃないの?ヤダなぁ、直哉が決めたんでしょ?」
「そうだよね・・・いや、なんだか明日香、かたい顔してるように見えたから・・・」
「そ、そんなことないって!」
明日香はあわてて首を振る。
「だったらいいけど・・・。それじゃ、行こうか?話したいことあるって言ってたよね」
「う、うん・・・」
それでもどこかぎこちない明日香だった。
「この前は来てくれてありがとう、ほんとにびっくりしちゃった・・・」
「うん、まあ僕もびっくりしたけどね・・・」
2人は落ち着いた雰囲気の、物静かなカフェで言葉を交わしていた。ここはもちろん、昨日明日香がバイトを休んで入念にチェックした場所だ。まだ午前中だからか、人はほとんどいない。これも明日香の予想した通りだった。
(やっぱり、ここにしてよかった)
明日香はそう思う。彼女がこんな場所を選んだ理由はひとつ、直哉に真剣な話だということを分かってほしかったからだ。
「ねえ、もしかしてどこか具合悪いの?大丈夫?」
「えっ?大丈夫だよ・・・。エヘヘ、私そんなに暗い顔してる?」
彼女としてはいつも通りにふるまっているつもりだったが、どうやらまったく成功していないらしい。明日香はそんな自分がおかしくなった。
「ほんとはね・・・不安だったの。駅で待ってるとき・・・」
「えっ?」
「今度は間に合うかなって・・・エヘヘ、そればっかり考えてたの・・・」
「明日香・・・それって・・・」
直哉が何か言おうとするのをとめて、明日香はバッグの脇からあの古いチケットを取り出した。
「これ・・・覚えてる?」
3年前の日付が記された、まだちぎられていない映画のチケット。その横に、まったく同じもう1枚のチケットが差し出された。
「覚えてるよ・・・明日香がくれたんだよね」
「これ・・・まだ持っててくれたんだ・・・まだ・・・」
明日香は感激した。直哉が覚えていてくれるかどうか、彼女はそれ自体不安だったのだ。
「だって・・・捨てられないよ。せっかく明日香が誘ってくれたのに、僕が転校しちゃったから・・・ごめん明日香、今さら謝っても遅いけど、本当にごめん・・・」
「えっ・・・な、直哉は悪くないよ!私が約束を破ったから・・・謝らないといけないのは私だよ!」
「明日香・・・」
直哉の言葉に明日香は思わず叫んでいた。彼女がこのチケットをずっと大事にしてきたのもすべては彼のため、彼にそのことを謝るためなのだ。
「あのときはごめんね・・・すごく怒ったでしょ?」
彼女はおそるおそるたずねる。
「怒ってなんかないよ・・・だって明日香は風邪ひいてたんでしょ?」
「えっ?」
「次の日に学校で聞いたんだ。それから何日も休んでたから・・・ずっと心配してたよ・・・」
直哉は言い聞かせるように、ゆっくりしゃべった。
「そ、そうだったんだ・・・」
「うん。だから・・・もう何も気にしなくていいよ。明日香・・・もう何も・・・」
「直哉・・・」
彼の優しい言葉が、明日香の胸にしみた。
「ありがとう・・・。エヘヘ、泣けてきちゃった・・・うれしいのに・・・」
彼女が自分の涙に気付くのは少し遅すぎた。無理やり笑顔を作ろうとすればするほど、それはますますあふれてくる。
「明日香・・・本当につらい思いさせちゃったね・・・。ごめん・・・」
「ううん、いいの・・・私、もうほんとに大丈夫だから・・・。そうだ、いいものあるんだ・・・」
なんとか涙をぬぐって、明日香は新しいチケットを直哉に手渡す。
「これ・・・もしかして、同じ映画?」
「うん・・・ちょうど、再上映されるの・・・だから・・・」
「わかった、今度こそ一緒に観よう!今からでも約束はたせるよ・・・」
「直哉・・・うん!」
2人はそのまま立ち上がる。明日香はようやく、彼女らしい笑顔になれたのだった。
3年前のあのころ、その映画には観たカップルは結ばれるといううわさがあった。明日香はそれを信じて、別れる前に直哉に告白するつもりだったのだ。だがそれはならなかった。そのうわさも、今や明日香の他に覚えている人は誰もいないだろう。
(そういうものだもんね、うわさって・・・)
明日香はスクリーンを見つめながら、少しだけ悲しい気持ちになっていた。うわさが失われてしまったことにではなく、あのときの直哉に恋する気持ちを忘れてしまったことに。
(ううん、こうやって約束をはたせただけでも幸せだもんね)
彼女はすぐにそう思い直して、悲しさを振り切る。映画はもうラストの静かなシーンに入っていた。
「・・・あのとき、映画観れなくてよかったかもしれないね」
「えっ?」
直哉が突然つぶやいた言葉に、明日香は驚いた。
「あっ、ごめん・・・観れてたら明日香はつらい思いしなくてよかったんだよね。でも・・・あの時はお別れ記念だったでしょ?今は再会記念だから、今観れたほうがよかったなって思ったんだ・・・」
「そっか・・・再会記念かぁ・・・」
「うん。その・・・今度は、会えなくなったりしないから・・・」
直哉は赤くなりながら続ける。
「だから、また映画観ようよ!これからも・・・」
「直哉・・・」
「それが言いたかったんだ。あっ、明日香が迷惑じゃなかったらだけど・・・」
「め、迷惑なんかじゃないよ!うれしいよ・・・すごく・・・。もう、ほんとに直哉は泣かせるんだから・・・」
明日香はまた目がうるんでしまうのだった。
そんな2人の手には、ちぎられたチケットがしっかりと握りしめられていた。
「2日もありがとう・・・エヘヘ、楽しかったなぁ〜」
「うん、僕も・・・」
ほとんど明日香が直哉を引っ張りまわす形で、2人は日曜日も一緒に過ごした。「2日も」とは言うものの、とても短く感じられる時間だった。
「次はいつ来てくれる?私はいつでもいいよ〜、バイトは簡単に休めちゃうからね!」
だがその短い時間に、明日香はすっかりいつものペースに戻っていたのだった。
「次は・・・秋になっちゃうかな。多分・・・」
「えっ?秋?ま、まだ7月になったばっかりだよ?夏休みもあるのに・・・」
最後の最後、駅のホームまで来て調子を崩される明日香。
「ごめん・・・。実は・・・僕、明日香の他にも会いたい人がいるんだ。今まで黙っててごめん・・・」
「そ、そうなんだ・・・」
「本当にごめん、明日香・・・」
「う、ううん、いいよ!私、それまでバイトして、ホントにいつでも休みもらえるようにしておくから!」
謝る直哉を見ていられず、明日香は無理に笑ってみせる。
「でも・・・」
「ほんとにいいから・・・。会えなくなるよりは、ずっとましだもん・・・」
少しさみしげにほほえんで、明日香はそう言った。ちょうど、それを聞いて安心したかのように、電車がゆっくりと入ってくる。
「明日香・・・。わかった、ありがとう。ときどき、電話するよ・・・」
「うん・・・じゃあ、待ってるね!」
「うん、元気でね・・・また来るよ!」
2人はなんとか、笑顔で別れることができた。
みなとみらい線の電車が、夕焼けの元町の下をゆっくりと走り始めた。
( END )
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どうも。せっかくなので毎話、なにかあとがきのようなものを書かせてもらおうと思います。
第1話はまあ予想通りというか、まさに原作の続きですね。ボナサン店長、一言だけですが記念すべき最初の脇役となりました。
関係ないですが、みなとみらい線って地下鉄だったんですね。調べてみて初めて知りました。
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